春風亭昇々 独占インタビュー(3)

「自分の中のルールがあるんです。このとき手は上げないとか。基本的にはですけど。ただ、可動域は決めてる」

― 教科書と言いますと、落語の本を書きませんか?というオファーはないですか?ここまで理論的なら書けると思いますが。

 

(オファーは)今のところないですね。来たら僕書けると思います。結構細かく説明できる自信あります。自分のやってるやり方についてですが。誰か本のオファーしてくれないかなと思いますが。例えば「隠居さんこんにちは」の「…は」の瞬間に、もう隠居さんになっていて上(かみ)と下(しも)は入れ替わってなきゃいけない。僕の中の基本なんですが、「こんにちは」の「は」で、もうこっち向かなきゃいけないんです。

 

― 被り気味にちょっと早くするという感覚でしょうか

 

いろんな師匠のビデオ見てて「なんで顔の振り分けの切り替わりがわかんないんだろうか」って。何人もの人の顔、体の動きを観察してました。同じようなことは鯉昇師匠(※)も言ってて。「こんにちは」って言い終わったら(上下を切って)、もうこっちの人になってる。その代わり、こっち向くんだよとは言わないですが、自分の中のルールがあるんです。このとき手は上げないとか。基本的にはですけど。ただ、可動域は決めてる。こっち向く時はこっちの手は出さないとか決めてる。着物の袖が(膝上に)乗っかってカタチが悪くならないようにしてる。こっちを指さす時には、こっちの手では指ささないようにしてるんです。それは訓練で、このカタチになるように訓練したんです。あと肩は落とすとか。足と足の間は拳(こぶし)2つくらい空けるとか。肩を落として背筋伸ばして左に手を置いて、脇はそんなに締めすぎずみたいなところまで、全部メモして。

 

瀧川鯉昇(りしょう):独自のスタイルで確実に笑いを取れる名うての落語家。マクラ(本題に入る前の世間話や小咄などのこと)の面白さにも定評がある。同じ成金メンバーである瀧川鯉八(二ツ目)さんの師匠。

 

― それはもう昇々さんのスタイルになってるってことですよね

 

僕のルール。アマチュアの人ってこういっちゃうんですよね、肩が上ってる。肩を下げたほうが力が抜けてる感じがして、きれいに見えるし、遊んでふざけてる感じが出るんです。肩を落とした方が。お客さんもリラックスして観てくれます。

 

結構いろんな師匠のを見て来て、「この師匠はこっち向く時は、こっち向けてるけど、こっち向く時は首はこっち向いてんな」とか気になるところはたくさん出てきます。できてる人は少ないんですけど、別にお客さんはそんなこと気にして観てませんよね。そんなことはお客さんからしてみれば、どうでもいいことなんですけどなんか俺は気になるんですよね。俺だけが気になることなんですけど。

 

― でも、そういうことを話していただくと、今後の見かたが変わりますね。

 

でも俺のルールなんで(笑)。そんなのどうでもいいんだよってみんな言うと思います。でも俺は結構、そこまで考えてやってるんです。

 

意外にも武闘派(闘う新作落語家)。一門の中では、昇太師匠の新作遺伝子を最も色濃く受け継ぐ。

― 古典と新作を分けて考えるコトは、あまりお好きではない?

「現代はとにかく、カテゴライズしたがるっていうか。順位をつけたがるし、分けたがる、といつも思ってます。落語でいうと古典新作とかの区別をしたがるし。」(2017年12月05日より)

 

「恐らく、足りないとしたら自由になる心、余計だとしたら崖から落っこちないようにする安全ベルトかね」(2018年07月25日より)

 

「自分になればなるほど、世間とずれていく?」(2018年07月25日より)

 

「新作落語を東京以外でも普通にできるようにしたいんです。新作こそがスタンダードだと思ってます。」(2018年06月16日より)

 

古典は古典で意味があるというか、結局、自由にやるためには自分を消していかないといけないというか。その考えって、自分はそう思ったけど、よく考えたら上の師匠たちもそう言ってたよなとか。自分を出すなとか。最近では、自由を目指すと古典をやらざるを得ないというか、古典をやることが正しいのではないかと思うようになってきています。

 

ただ、「(噺を)創る」ということは絶対必要というか、自分で創ってそれを自由にできたら一番いいという思いは変わりません。新作も創るけど、一番いいのはふわっと創っておいて、その場に応じてキャラに喋らせるというやり方が多分一番いいと思う。なかなか、理想ではそうだけどできませんが。

 

自分は脳の回転がものすごく遅いし、口が回らないので(ふわっと創っておいて、その場に応じてキャラに喋らせるということを)できる人はいると思うのですが。喬太郎師匠(※)をはじめ、すでにそれができる師匠たちはいますしね。でも自分はまだなかなかできない。一言一句書いて覚えないとできない。

 

柳家喬太郎(きょうたろう):古典も新作も自在に操る超売れっ子実力派。落語界きってのウルトラマンフリーク。古典は人情噺で知られる柳家さん喬に正統派の落語を学び、新作落語では三遊亭円丈に多大なる影響を受けて今がある。SWAの一員。なお、新作落語ファンにとっては、この対談記事は垂涎。「柳家喬太郎×三遊亭円丈対談 今の人気は「落語がいっぺん死んだから」 

 

※ SWAすわっ):創作話芸アソシエーションの頭文字からSWA。春風亭昇太・柳家喬太郎・三遊亭白鳥・林家彦いちによるユニット。今人気の「成金」以上に、当時はエポックメイキングな活動で話題をさらった。

 

古典落語も自由にできて、新作も自由に創れたら一番いいんですけど。自由自在に創れたら。本当の究極ってその日あったことを落語にできちゃうってのが究極の自由なんでしょうけどね。それには僕の脳だったらあと5つくらい必要なんで。ほんとに僕は頭が悪いというか物覚えも本当に悪いし、関学に入るのも人の10倍くらい勉強してやっと入れたんで、そんな旧タイプの脳でやってるんで。なんでこんなに頭の回転が悪いのかなと思ってる。 

 

「落語と新作落語」ではなく、「古典落語と落語」。

 

― ネタ数的には古典、新作それぞれどのくらいですか?

 

60ずつくらいかな。いや新作はめっちゃ創ったから。50は確実にあるけど、そこからは数えてません。

 

― 『イキトキ』というウェブメディアでのインタビューでは「古典落語と落語と言って欲しい」とおっしゃっていましたが…

よく、「落語」と「新作落語」と区別されるけれど、そうじゃなくて、「古典落語」と「落語」と言って欲しいって僕は言っています。IKITOKI(イキトキ)より

 

そんなことを言っていた時期もありましたね。でも今思ってもやっぱり、古典落語と落語じゃないですか。「古典落語」って言葉がなんかお客さんの敷居を上げてる感じがしてるというか、なんか大衆芸能じゃなくしてるというか、「予め勉強してからじゃないと観にこれないよ!」みたいな。というか、なんか好きじゃないというか。必要以上に高尚なイメージを与えている気が。

 

― よくわかります。去年のことです。「落語って昔の言葉で喋るんでしょ?」って方がいたんです。「勉強して行かないと楽しめないんでしょ?」って。まだそういう風に思ってる人がいるんだなと少し驚きました。

 

進化していくことをやめたというか古典落語って。生物の進化図みたいに、いろんなジャンルっていろんなものが生まれて派生して、あっちやこっちに伸びていって、そこからまた発展していったり、そのうち一本だけ死んでいったり、どんどん変わっていくじゃないですか。でも(古典)落語は「これなんです!」としちゃったんで、まあ、それによって『伝統芸能』みたいになって、今その括りの中で自分たちの村は守られているんだけど、決めちゃうとそれ以上の発展はしていかないのでは?と思ったり。「これ(と決めてしまった落語というもの)」を好きな人は来るけど、あとは知らないという。

 


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。昇々さんの素顔、そして本音。

 

春風亭昇々 独占インタビュー(1)

春風亭昇々 独占インタビュー(2)

 

春風亭昇々 独占インタビュー(4)

春風亭昇々 独占インタビュー(5)

春風亭昇々 独占インタビュー(6)

プレゼントあり!「くがらクイズ」 昇々篇