春風亭昇也 独占インタビュー(中)

噺家になりたい気持ちが破裂するのはわかっていた。

―なぜ漫才師を辞めて噺家を目指したのですか?
 先日(11月29日)、春風亭昇也・三遊亭とむ二人会というのをやりました。とむさんとは、元同じ事務所同士なんです。僕がホリプロコム所属の漫才コンビ「メロンソーダ」だった頃、とむさんはまだ末高斗夢(すえたかとむ)でした。落語家の世界では僕のほうが兄(あに)さん(=先輩)ですけども。その二人会にゲストで来てくれたのが当時の事務所の大先輩X-GUN(バツグン)さん。X-GUNの西尾さんとは、その頃からよく落語会に行っていたんです。

―どんな会に行ってました?
 実相寺の「たまごの会」には、よく行っていたんですよ。当時聞いていた志ん陽兄さん(当時、朝太さん)と、最近では「住吉踊り」でご一緒させてもらっています。

―噺家に転身することに躊躇や悩みはありませんでしたか?
 僕は24歳のときにコンビを解散しまして。当時の選択肢は2つありました。ピン芸人か、噺家か。1年悩みましたね。その間、先輩の単独ライブの(構成)作家などをしながら食いつないでいました。そんなとき、「自分が30歳になってるとき」を想像してみたんです。

 選択肢その1、お笑いを続けていた場合。売れるのは相当難しい、売れる保証もない。もし売れてなかったら悲惨だろうな。万が一上手く売れればいいけど。もし30歳で売れないでいて、その時点から落語家に転進するとなると、相当辛くなる。回り道になる。

 選択肢その2、落語家を選んだ場合。20代の後半は捨てなきゃなんないなと。厳しい前座修行が待ってるわけですからね。それまで我慢はする。我慢はするが、30歳過ぎて二つ目になってからは実力次第で切り開けるかもしれない、自分の好きなようにやれる、と。

 何より一番大きかったのは「落語家になりたい」という強い気持ちがあったことです。

 いま選択しなくても、遅かれ早かれ自分の人生の中で「落語家になりたい!」って強烈に思う瞬間、気持ちが破裂するような瞬間が、いつか必ず来るだろうという予感はあった。それなら、今、落語家を選ぶのが正しい選択だと思いました。今になって思うんです。あのときの自分の判断は正しかった。あのときの自分を褒めてあげたいと(笑)。漫才界に未練がなかったと言えば、それは嘘になります。でも、あの時決断してよかった。あのとき思い切って落語家になったから、こうして結婚もできたんだと思っています。落語家になったから、今があるんだと。

 

昇太門下弟子入り秘(悲)話

―昇太師匠を選んだ、弟子になろうとした理由は?
 3つの条件を兼ね備えている人を師匠に選びたいと思っていました。
(1)自分で噺をつくる人。(注:創作落語をやっている噺家さんと言うこと)
(2)落語以外のことをしている人。弟子が、同じように落語以外のことをやっても、それを許してくれそうな人。自分で落語以外のことをしている人あれば、僕が将来、同じようにほかのことをやっても許されるだろうと思いました。
(3)僕自身がおもしろいと思える人
この3つの条件を兼ね備えている人は誰かな?と絞っていったら、うちの師匠しかいなかったんです。落語協会、落語芸術協会といった所属団体は気にしませんでした。

 実は、ふらふらしてるとき(漫才を解散してから入門するまでの間)、ある師匠に「うちにくるか(≒俺の弟子にならないか)?」とスカウトされたこともあります。それでも、うちの師匠を選んだんです。その頃、相談を持ちかけていた昇々兄さんに「自分で選んだほうがいいよ、師匠は」と言われたことも効いています。人に決めてもらうんじゃなく、自分自身で決めて選んだからこそ、後悔しない噺家人生を過ごせていると思っています。

―どうやって弟子入り志願したんですか?
 パルコ劇場で出待ち(出てくるのを待っていること)しました。で、裏口から出てきた師匠に「弟子にしてください!」とお願いしましたんです。履歴書を持ってきてと言われて、翌日持って行き、受け取ってもらって。

―とんとん拍子じゃないですか
 いえ(苦笑)。そこからが長くて(苦笑) 履歴書を受け取っていただき、「わかった。じゃ、あとで連絡するから」と言われてから3ヶ月。そのあと3ヶ月も一切連絡無しですよ3ヶ月も!自分でも忘れてた頃に電話がありました。「兄弟子(現・昇吉さん)に会って話しを聴くように、落語家の修行など現状をしっかり聞いてから、最終的に判断するように」と。前座の大変さは覚悟してましたし、その後はとんとん拍子に入門が決まりました。

―3ヶ月の間、もんもんとしてました?
 いつくるかな、いつくるかな、と待ち焦がれていたのは最初の1週間くらいでしたね。そのあとは、もうどうしていいかわからないので、ひたすらバイト(落語会のもぎり・チラシくばりとか)してました。談志師匠の伝説の「芝浜」と言われたよみうりホールでの一席も聞いていました。鳥肌が立ったのを今でも覚えています。

―昇太師匠以外に弟子入りしようとは思いませんでしたか?
 うちの師匠に入門志願する以前に、お一人だけいます。未遂ですけど(笑)。某落語会で「時そば」を聞いて、あまりの面白さに心を打ちぬかれて(瀧川)鯉昇師匠に弟子入りを考えたことがあります。あのとき、未遂で終わってなかったら、鯉昇一門だったかもしれませんね(笑)。

落語のすごさに気持ちを射抜かれたとき

―昇也さんがそもそも落語のすごさに気持ちを射抜かれたのは?
 (桂)米朝師匠ですね。米朝師匠のドキュメントと高座をたまたま録画してて、それをたまたま観たのがきっかけです。師匠がお弟子さんにダメだししてましてね。ネタは「らくだ」でした。つまみを食べる仕草で時間経過がわかるように描写しろと。酔いが進んでいく様を仕草でしっかり表現しろと。「うわ、落語ってスゴイ。こんなに緻密なんだ」と思いました。

 で、肝心の米朝師匠は「百年目」。これがまたすごかった。目の前に花見をしている情景がぶわぁぁぁーっと見えたんですよ。この一連の録画を見終わってからですね。落語としっかり向き合ってみようと。付き合ってみようと。それから図書館に行って落語のCDを借りまくりました。片っ端から借りて。その後、もう寄席通い、寄席通いですね。浅草演芸ホールに昼から夜、終演までずっと居て。22~23歳の頃です。その当時から僕は(お笑い界の中でも)落語キャラでした。根津さん(ねづっち。ブレイクする前)と一緒になぞかけを振られたりしてました。

 中1くらいには、もう芸人になろうと思っていました。漫才師。ダウンタウンさんに憧れていました。あとはドリフかなぁ。僕が思うに、米朝師匠好きな人は(漫才師なら)いとしこいし師匠が好きですね。一方、枝雀師匠が好きな人は、やすきよさんが好き。そう思います。おもしろいもので、系統がはっきりしていると思いますね。

―漫才と落語、昇也さんが思う“違いとは?
 例えば同じ球技でも野球とサッカーはまったく違うスポーツですよね。そのくらい漫才と落語は違います。僕が漫才師をやってたことでよかったなと思うのは、ツッコミのスキルを磨けたことですね。これは自分の武器、戦闘力だと思っています。

師匠をしくじったエピソード

 

―師匠をしくじったこと(失敗をして師匠の逆鱗に触れたこと)はありますか?
 あります!あります!僕が入門したての頃、楽屋入りしてほんの1ヶ月経った頃のことです。漫才の時代から、僕はずっとブログを書いてまして、入門して前座になってからも、続けてたんですよね。漫才師のノリで書いていて。それが師匠に知れまして、呼び出されて。「すぐ消しなさい!」と言われて。それだけでは終わらなくて。「お前は落語家とお笑い芸人の区別がわかっていない」と激怒。そこから謹慎です。「明日から寄席に来なくていい。こっちから連絡するまで謹慎してなさい」と。で、そこから半年間ですよ、謹慎。

―長いですね!
 これがですね、あとで聞いたら、うちの師匠も勘違いしてまして(笑)。僕が謝りに来ないので(あいつは辞めたんだな)と思っていたんだそうです。こっちは「明日から寄席に来なくていい。こっちから連絡するまで謹慎してなさい!」と言われたんですからね。忘れもしません。言われた方は忘れないですよ。こんな大事なことは(笑)


 で、大人しく謹慎を続けていたけれども、謹慎すれどもすれども、反省すれどもすれども、連絡が来ない。こないわけですよね。師匠は(あいつは辞めたんだな)と思ってるわけですから(笑)
 困った僕は兄弟子(昇々さん)に電話して「待てども待てどもお許しが出ない。どうすればいいですか」って泣きついて。「師匠が言ってるんだから待つしかないよ」って。で、また、待って待って待って。それでも連絡が来ない。

 

 で、また昇々兄さんに電話して。もう年末でしたから。「年が明けちゃうと、またさらに大ごとに、大変になるんじゃないか」って思って。で最終的に意を決して師匠のお宅まで行きまして。インターホン越しに謝りました。その後、会って話しをさせていただいて。結果、今に至ると言う。

 

 あとから他の人に聞いたら「しくじったらすぐ謝りにいかないと行けないよ!」って言われて。そういう大事なことはもっと早く教えてくれよと(笑)。僕は根が素直なんで、「こっちから連絡するまで謹慎してなさい」と言われたんで、「はい、わかりました」と。黙って大人しく半年待ってたと言う(苦笑)
 その謹慎の半年の間に(春風亭)柳若さんに香盤を抜かれたんですね。楽屋入りは僕のほうが早いんですけど、柳若さんのほうが先に正前座になったので、僕よりも香盤が一つ上になりました。

昇太師匠とは

―昇太師匠は、どんな方ですか?
 こんなエピソードのあとに言うのも、説得力に欠けるかもしれませんが(笑)、うちの師匠はすごく優しいですよ。相当な人見知りなので、つっけんどんで、難しい人というイメージもありますが、大前提としてとっても優しいです。理不尽なことを言ったりしないですしね。

 ただ、うちの師匠の方針が「言わなくてもわかるでしょ(わかりなさい)」なので、(師匠に)認めてもらうまでには2年はかかります。最初の2年はうちの師匠とは口はきけませんね。「状況を見たらわかるでしょ、何してもらいたいのか、きみがどう行動するべきなのかは。わかるでしょ。察しなさいよ」という方針ですからね。その辺はすごく厳しい。

 そういう、察しろよという、聞いちゃいけない空気感と言うのを、うちの師匠は出してるし、纏っているので、僕ら弟子三人(当時は昇々・昇吉・昇也の三人だけだった)はしょっちゅう情報交換して、「師匠が言ってたあれは、どういう意味だろう」とか探りあい、学びあいしてました。だから今の弟弟子たち(昇吾昇羊昇市)は楽だなぁと思ってみてますよ。ひと通り、僕たちがリサーチして、データを集めてて、マニュアルが完成した状態で入門してきて、師匠に付いてる訳ですからね。必至に努力してきた開拓者たちに、もっと敬意を払えよと思います(笑)。

―昇太師匠は難しい方なんですか
 間合いが、ですね。うちの師匠との間合いは、んっとに難しいんですよ。どこかの国みたいなもンですよ。近くて遠い国なんです。いっしょにSWA(創作話芸アソシエーション)やってた仲間の師匠たちですら楽屋入りするときに「今日の(昇太)師匠のご機嫌はどう?」って僕ら弟子に聞いてくるくらいですから。

―じゃぁ、KY(空気読めない)な弟子なんて、ありえませんね。昇太一門では。
 ありえません。

―結婚はKYとは言われなかったんですね(笑)
 うちの師匠が言う破門の条件てのがありまして。犯罪を犯した場合/努力してない場合/努力しても、こいつは落語家に向いてないと判断した場合/師匠を尊敬していない言動があった場合。この4つ。あとは追加で「結婚した場合」ってのも(笑) 高座でネタでいじるのは師匠も許してくれています。「(こっちも)オイシイから!」って。ただ、高座と高座以外で、その線引きをきっちりわきまておえないと、どえらいことになりますけどね。

 破門されかけはしましたが、いま師匠と一番話すのが僕かもしれません。僕なりに「師匠と距離を詰めなければ!」という必至の思いで、師匠に対峙してきましたから。きっかけは前座時代に2人で北海道に仕事に行ったときのことです。ラーメンを食べに行ったんですよね。で2人でラーメン食べてて、誰も口きかない、無言状態が続くのは気まずいと思って、僕が寄席の楽屋のゴシップや、そこで聞いてきた話をいっぱい伝えたんですよ。そしたら、うちの師匠がげらげら笑ってくれて。「もっと教えろ」ってなって。そこからですよ。遠く感じてた国を少しだけ身近に感じることができるようになったのは(笑)

―昇太師匠に言われて心に残っている一言は、ありますか?
 うちの師匠に言われてですよね。あります。ありますよ。えーっとですね、えーっとね。あります、あります。あるんですけどね、今はぱっと思い出せないですね。あるんですけどね。ええ、あるんですけども(笑)

―はい。では次の質問に・・・
 あ、これは以前、(東京)かわら版さんの取材でも答えたことなんですが、僕だけではなく、一門全員に言う言葉がありまして。毎年暮れの忘年会で〆の言葉として師匠が毎年言うセリフ。「それでは、みなさん、来年もプロであるように。」

―かっこいいですね
 この言葉、いいでしょう。「それでは、みなさん、来年もプロであるように」。人に迷惑をかけずに、おまんまを食べていけるようにという。しかし、この言葉が重い。

―理想の噺家像は?
 やっぱり、うちの師匠ですね。目指す目標。師匠を見てますとね、つくづく思うんですけども。っんとに楽しそうなんですよ、うちの師匠。人生楽しんでるなぁーって、思います。そういうのが理想ですね。

―昇太師匠のように舞台やったり?テレビドラマでたり?
 俳優さんは大変だなと思いますね。高座(落語)と違って、アレンジや、誤魔化しがききませんしね。独りでやってるわけでもないので、自分のセリフをとちると、他の俳優さんにも迷惑がかかる。
 師匠がドラマや舞台に出るときなどは、台本の読み合わせの相手をすること(セリフの稽古)もあります。これも弟子の仕事です。TBS「下町ロケット」のときには、僕が阿部寛さんと、そのまんま東さん役をしました。

―噺家でありながら、多方面で自由にいきいきと活動している師匠に憧れて入門。昇也さんはなにをしたいですか。落語以外で。
 最近はラジオが、やってて楽しいですね。あとはお酒が好きなので、吉田類さんの「酒場放浪記」的な番組もやってみたいですね。趣味と実益を兼ねて。それを昇吾(弟弟子)とやりたい。子ども番組もいいですね。毎朝子どもと「おかあさんといっしょ」を見てますからね。楽しそうだなと。

 

春風亭昇也 独占インタビュー(下) につづく