柳亭こみち 独占インタビュー(2)

落語協会で6番目の女性噺家「柳亭こみち」、誕生。

― 女性のお弟子さんを持つということについては?

 

 最初、私に噺を覚えさせる時に師匠は「登場人物を女に変えてみたらどうだ」とか、「女の人(他の女性落語家)に習いに行ってみてはどうだ」など言いました。師匠自身もいろいろ試行錯誤してたようです。弟子も初めてだし、しかも女なわけですから。

 試行錯誤の結果、どれも女に変えてもうまくいかないといいますか、登場人物の性別を変えて上手くはまる噺なんて、ほとんどないですから。師匠は最初に私を、鹿の子(かのこ)姉さん(春風亭鹿の子師匠。落語芸術協会所属)のところに稽古に行かせました。そこで、「どんな噺だって男が出てくるんだから怖がらずに男を演るように」とアドバイスを受けて。で、今は基本的には師匠はそのままやらせるということで落ち着いていまして、師匠も「これ、お前に合ってる(噺な)んじゃないか」ということを言ってくれます。私が古典(落語)に向き合おうとしている、そういう風に生きてきていることを師匠も理解してくれてまして、それを不可能だとは言わないでいますね。

 実際のところ自分の高座を録音して聴いてみたりすると、やっぱり自分が演じてこの位できているだろうと思う完成度よりも、ぐんとやっぱり低いというかこの程度しか出来ていないんだなって自分でも思うんですね、自分の音源を聴いてて。もっとやらなきゃいけないと思うんですね。うちの師匠は何十年も高座を聴いて、真打になって20年近くも経ってるわけですから、そこのところどう思っているかわかりませんが、でも今はとにかくまっすぐやりたいという気持ちはわかってくれています。

ぼたん姉さんの教え、背中。

― 女性ならではの苦労がある、あったかと思うのですが。

 

 私が入門した時は、とにかく女性の噺家が珍しい存在です。私の一つ上が、ぼたん姉さん(林家ぼたん。今年3月に真打ち昇進)なんですけど、完璧な先輩でした。私たち、私と、ちよりん(古今亭ちよりん)は、ぼたん姉さんの背中を見て育ちました。楽屋働きでも、ぼたん姉さんをいつも見ているお囃子さんから「女であるからこそ、人よりもがんばらなくちゃいけないよ」と教わりました。誰よりもテキパキと、誰よりも速く着物を畳み、お茶も美味しく煎れて、ミスをしない。上手に太鼓を叩く、一度太鼓の見本を聴いたら、それはもう間違えない、完璧な方です。

 やっぱり(なめられちゃいけない)という気負いとか思いとか色々ありました。その点、ぼたん姉さんはボーイッシュな感じで、女であることを、良い意味で常に隠そうとしていましたから。だから私も、女だからといって特別扱い、半人前扱いされたくないということで、もう、がむしゃらでした。で、女であるからこその苦労はじゃあ何があるかというと、とにかく体力がきつかったですね。休みがないですから。

 私、最初、東村山の実家から江東区の師匠の家まで通っていました。朝6時に実家を出て、夜中12時、深夜1時に帰宅するという、これを一年続けたらですね、どんどん風邪引くようになっちゃったんです。そりゃそうですよね、寝てないし、(今日寝不足だから、次の日たっぷり寝て、その疲れを取り返そう)なんてできないですからね。疲れが溜まったまま、ずーっといくんですよ。だからもう身体が辛くて辛くて。師匠の家でも緊張、緊張。神経張りに張って、テキパキやらないといけませんし、師匠宅を一歩出たら、師匠の荷物を持って駆けずり回って、またテキパキ動かなければなりません。

 だから、とにかく、その体力面がきつかったですね。その頃わかったことですが、人間、体力が尽きてくると精神的にも変になってくるんですよね。なんて言うんでしょう、自分のB面(陰の面、嫌な面)がずっと出ちゃうんですよ。例えば電車内で。(今ここに座りたいと思っていたのに、あぁ― あ。この人が座っちゃったよ)とか。自己中心的になっちゃうというか。あと、なんですかね、常にイライラしてるとか。自分がヤな人間になっていくんです、どんどん。とにかく、あの地獄のような時期、体力も精神的にもきつい時期を乗り切るっていうのが、大変でしたね。

― それは二つ目さんに上がるまでずっと続いた感じですか?

 

 そうなんですよ。いまの時代、前座さんは師匠の家に行かないって人がいるんですよね。寂しい気がします。あまりにも違い過ぎて(苦笑)。私たちは、師匠のうちへ通って、身の周りのことをして、休みがなくて、手もアカギレだらけで、だけどなんだかわかんないけど、がむしゃらにその4年間を乗り切る、っていうのがあって。で、それを越えて初めて、なんかこう噺家らしさとか、高座に上がれる喜びとかが満ち満ちていくんだと思ったりもしますけども。いまや、普通にフリーターみたいな感じでは昼席の時は昼前位に家を出て、「師匠おはようございまーす」って言って、そりゃ充分寝てられるよね、という(苦笑)。それで寄席が終わったら、誰かのお供に行くなら行って。っていう仕事の流れだと(私らの修行時代とは)違いますよね。夜席しか仕事がない前座さんなんて昼過ぎまで寝てたっていいわけですよ。ちょっと、それはもう時代の変遷がすごすぎて。しょうがないことなんですけどね。

噺家の矜持を持て。ちゃんとした暮らしから生まれる、ちゃんとした芸。

 通いで、半年経つか経たない時のことでした。私、風邪ばっかり引いているので師匠からきつい一言が。「身体が持たないのは、(噺家を)辞める立派な理由だぞ」と。これは(いつもでお前をクビにできるんだからな)と言われてるんだと思いました。「(お前が)俺に弟子入り志願した時に何て言って来たんだ? 『こんなに身体が丈夫です。元気に走り回って営業行ってます』って言ったから取ったんだ。それがそんなに弱い弟子とはな。改善できないなら俺はクビにするしかねえ。だから俺の家のそばに住んで、ちょっとでも睡眠時間を確保するか、噺家を辞めるかのどちらかだ。そばに住めないならもう辞めるしかないぞ」。

 で、師匠の家のそばにアパートを探し始めたんです。駆け出しの前座の割り(寄席での出演料)は千円。なので、シャワー室、トイレ共同といったような、そのときの自分でも払える程度の家賃の、いわゆる安アパートを探し出しまして。で、師匠に報告に行ったわけです。「こういう部屋を探してきました。だから、そばに置いてください」と。

 そしたら思いも寄らない厳しい一言が返ってきました。「お前、ここに住んだら、お前がどういう芸人になるかわかるか。安アパートに住んだら、安い家賃並みの芸人になるんだぞ。安アパートが悪いとは言わねぇ。言わねぇが、決して人並みとも、高級とも言えない暮らしだ。しみったれた暮らしっぷりが、生き様が、お前の高座には出るんだ。そういう芸人にお客さんはお金を払いたいと思うだろうか。俺は思わねえと思う。高座に上がってきて、お客様が『わぁ、この芸人、安っぽいな』と思ったら、お前に仕事は来ない。お前は食っていけなくなるんだ。(噺家が芸を磨くためには)もっと、ちゃんとしたところに住みなさい、ちゃんと普通の暮らししなさい」と。何年経っても、こんなにすらすら話せるくらい、強烈なアドバイスでした。

 江東区って一人暮らしの人が住むような手頃な部屋が、当時あまりなくてですね。探すのには苦労しました。困ってる時に師匠が「お前ここに住んだらどうだ」と、平均的な家賃のマンションを探してきてくれまして。師匠のお供をする仕事に、寄席での割りを加えても家賃にまだ足りない。躊躇している私には師匠は「あと一つ二つ、自分の仕事を取れるように、お前自身ががんばるんだ。何しろ、ちゃんとした部屋に住むってことは、そういうことだ。もしここで、お前が食っていけないようであれば、それはお前は落語界で必要とされてないってことだから、それは辞める理由なんだ」と背中を押してくれました。そこからですね、必死になってがんばりました。「(食費にお金をかけなくて済むように)飯は俺んちで食え」など、師匠の優しさに甘えたりしながら、家賃を払い続けました。厳しいけどやさしい。そんな師匠なんです。

「お前の、俺に対する思いは重くて熱い。そんなに見つめるな」

― なんか柳家の美学っていう感じがしますね。ザ・柳家!って感じです。

 

 私、本当に師匠にも、おかみさんにも感謝しています。その当時は後輩から「こみち姉さん、ほんと幸薄そうですね」とか言われるくらい、ものすごく、ボロボロだったんですよ。今になってようやく平気で話せますけども。常に寝不足で、倒れる倒れないのギリギリのところで暮らしてまして、今のような快活さみたいなものは一切なくてですね。オバケのように暮らしていました。

 そんなとき、うちの父が、ある日、うちの師匠の独演会に来てくれまして。「父さんは驚いたよ」と。「家にいるお前はいつでも疲れて、ブスッとして機嫌も悪いし、とにかく疲れてる、高座に上がって高座返ししてる姿を見たら、見たこともない生き生きとした姿だった。好きなことをやるということはこういうことなんだと、父さんは初めて知った」と。実家から通っている頃の私は、いつも疲れていましたから。ましてや入門した後は家にいる時間が殆どなくて、いつ会っても私ぐったり疲れてるんですよね。

 父は、私が落語家に入門したいって言った時に「気でもおかしくなったのかっ!」て言ったんです。父は新潟の田舎の出身者です。周りに娯楽なんてありませんし、仕事が終わったらスーパーで買い物して、家に帰って、夕飯を食べて、風呂に入って寝るっていう刺激もないシンプルな暮らし。それだけで、もう充分満足な人なんですよ、父は。だから、好きなことをして、いきいきと生きるという発想そのものがなかったんですね。ましてや、自分の娘が会社員になって就職して、結婚でもすりゃよしよしと思っていたら急に噺家になりたいと言い出して、人前に出て笑われて、何が楽しいんだか、さっぱりわからない。「気でもふれたかと思った」ってくらいの人だったんです。だから、高座上の私「柳亭こみち」を見たときに驚いて。私、前座修行で疲れてはいましたけど、高座に上がって『寿限無』やったり『道潅』やったり、高座返ししている時はもう、喜びに満ち溢れてますから。うれしくてうれしくて(笑)

― 思い込んだら、とことん。だぁーっといく。突き進む。

 

 私、いつもそうやって生きてきたと思います。就職する時も、弟子入りする時も、結婚する時も、こうだと思ったら突き進むんですね。結構、うざいタイプなんですよね(笑)。一応受け入れられてますけどね。以前、入門後の話ですが、大師匠(小三治)にも言われました。「お前の、俺に対する思いは重くて熱い。そんなに見つめるな」って(笑)。

― 二つ目になったら、今のような明るい感じに、がらっと変わったんですか?

 

 そうなんですよ。入門してから、暗黒の見習い・前座時代だったんですけども、二つ目になっちゃったら一気にがらりと変わりました。まず、とにかく寝られますし、自由がありますし、自分の高座が終わったら帰ってもいいですし、自由って素晴らしい!と思いました(笑)


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。こみちさんの声、そして本音。
柳亭こみち 独占インタビュー(1)
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