立川笑二 独占インタビュー(1)


くがらくでは毎回お客様アンケートを実施しています。そのアンケートでリクエストがとても多かったのが、今回お呼びした立川笑二さんです。

 

喫茶店の座席で目の前で質問に答えてくれている笑二さんは、シャイで人見知りの男性そのものという感じがしました。

 

真面目で、丁寧で、真剣で。特別熱くも特別クールでもない。激しいわけではない、かと言って淡々ともしていない。ただただ、ひたすらに穏やかで、温かい。

 

そんな人が、

 

「1日に10時間は(公園などで)稽古します」

 

と涼しい顔で言った時の私たちの驚きを想像してください。

 

そりゃぁ、何となく事前調査で知ってはいましたよ。ツイッターで「公園で稽古してます」ってつぶやいてましたから、笑二さん。「笑二の稽古量は並外れている」って書いてましたから、談笑師匠。

 

でも、でもですね。1日に10時間て!

 

(そりゃ、おもしろくもなるわ!)か、(すごいね!)なのか。はたまた、(プロなのだから当然じゃん!)なのか。

 

私たちは、(やっぱりね!)をはるか通り越して、普通に驚いてしまいました。

 

「公園/トレーニング(稽古)/10時間」というキーワードが頭の中を駆け巡り、(落語アスリートか!)って思ってしまいましたよ。もしも、世の中に『落語オリンピック』なんてものがあったら、確実に日本代表の一員! 

 

インタビュー終盤には「この人は“落語の鬼”だな」と思いました。

 

天賦の才をもち、なおかつ毎日10時間の稽古。

 

今回のインタビュー記事は、“鬼に金棒、笑二に稽古”というお話です。

 

落語って、ただ笑えるだけのものだと思ってたけど、こんなにドキドキ、ヒリヒリした気持ちになるものなんだ・・・。

― 「沖縄初の落語家」や「沖縄県出身の唯一のプロ」など、さまざまな紹介のされ方をしています。正しくは、どれになるのでしょうか。

 

「前座という身分は落語家未満。二つ目になって初めて一人前の落語家だ」という見方からすると。沖縄出身者で二つ目になったのは私が初めてであり、今もいないので唯一です。過去には、入門はしたけど(前座にはなったけど)途中で辞めた人は何人かいたようです。上方(の落語界)にもいないそうです。

 

― 落語家になる前の笑二さんは、元・お笑いコンビで、元・ピン芸人です。そこから教えてください。

 

子どもの頃からお笑いが好きで、中学2年のときにはコンビを結成してました。コンビ名は“楽しい”に“笑う”と書いて『楽笑(らくしょう)』といいました。「楽笑」結成のきっかけは、部活(ソフトボール部)の合宿の余興です。大好きな「2丁拳銃(※)」さんの台本を丸っと書き起こして、漫才してました。私はボケ担当です。高2の頃からは、地元・沖縄のお笑いライブ(※)にも出場していました。

 

― なるほど。それからは?

 

地元に残ってお笑い活動をしたいというよりは、全国区で売れたいと思っていましたので、18歳で相方と二人で大阪に。吉本のNSCに入学しました。大阪の32期生です。東京でいうとマテンロウ、デニス(※)と同期になります。「ダウンタウンさんを超えるぞ!」と正統派漫才を目指していたんですが、事情があって半年ほどで相方は沖縄に帰っていきました。その後はNSCに1年、ピンで1年、大阪には2年間いました。ピン芸人時代の芸名は「知花ひろゆき」です。

 

※ 2丁拳銃:よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ。ボケ担当の小堀は、第2回上方落語台本大賞(2009年)で優秀賞受賞。新作落語のタイトルは「ハンカチ」。

 

※ 沖縄のお笑いライブ:沖縄には「FEC」と「オリジン」というお笑い団体が2つあり、毎月ライブを行っている。300人超の観客を動員するほど盛ん。今や全国区のお笑いコンビ「きゃんきゃん」や「スリムクラブ」も輩出。

 

マテンロウ:アントニー(ボケ担当)は見た目は外国人(日本人とアメリカ人とのハーフ。)なのに、英語が全然話せないことでも有名。デニス:植野行雄(主にツッコミ担当)は日本人とブラジル人とのハーフ。アントニー同様、見た目は外国人なのに日本語しか話せないことをネタにしている。どちらも、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いコンビ。

 

― まだ落語の“ら”の字も出てきませんが、笑二さんと落語の接点は?

 

中学時代から落語も好きでしたよ。ただ、沖縄は「笑点」がオンエアされていないエリアなんです。私がもっとも影響を受けた落語関係のテレビと言えば当時大ヒットした「タイガー&ドラゴン」です。今でも「芝浜」モチーフにした第一話を鮮明に覚えています。これにとても感激して、ネットで落語をたくさん見始めました。特に立川談志(笑二さんは談志の孫弟子にあたる)・桂枝雀師匠はよく聞いていましたね。

 

立川談志という人を初めて見たのは、 「笑う超人 立川談志×太田光」というDVD(※)です。このDVDの特典映像が立川談志の「鼠穴(※)」でした。これに私はやられました。「本当にすごい人だな」と震えました。「落語って、ただ笑えるだけのものだと思ってたけど、落語で、こんなにドキドキする、ヒリヒリした気持ちにさせられることもあるんだな」と。

 

※ 「タイガー&ドラゴン」:TBS系で放送された落語をモチーフとしたテレビドラマ。主演はTOKIOの長瀬智也とV6の岡田准一。脚本は宮藤官九郎。

 

※ 「笑う超人 立川談志×太田光」:爆笑問題の太田光が企画・演出を手がけ、立川談志の新たなる落語世界を構築した、2006年12月の特別高座の模様を収録している。2人の対談がまくらとなり、「黄金餅」「らくだ」の口演に入っていく。鬼気迫る談志師匠の熱演が見事。

 

※ 「鼠穴」:ねずみあな。酒と女で身を持ち崩し、一文無しになった百姓の竹次郎。江戸で事業に成功している金持ちの兄のもとを訪れ、金の無心を。すると…。このネタに打たれてプロを目指してという落語家は多い。このネタは爆笑問題・太田光さんから談志師匠へのリクエストだと言われています。

 

 

― ようやく落語立川流との接点が見えてきました。

 

談志を知ったとはいえ、それでもまだ当時は漫才一直線でした。高3のときにはM-1甲子園(※)の九州予選に出ました。落選して帰るとき、たまたま立ち寄った書店で「赤めだか(※)」を見つけ、買って読みました。そこで談春師匠の存在を知り、「紺屋高尾(※)」をレンタルCDで聞いて。これはすごい!と。

 

※ M-1甲子園:エムワンこうしえん。2003~2008年まで行われていた「高校生お笑いNo.1」を決めるイベント。吉本興業の主催。正式名称は、全国高等学校お笑い選手権『M-1甲子園』。

 

※ 「赤めだか」:立川談春著。落語家前座生活を綴った破天荒な名随筆。第24回(2008年) 講談社エッセイ賞受賞。

 

※ 「紺屋高尾」:こうやたかお。花魁の最高位である高尾太夫と、一介の紺屋の職人との純愛をテーマに据えた、古典落語の名作。

 

― 立川談春師匠まで辿り着きました。

 

ここで話はピン芸人時代に戻ります。ピン芸人を1年やってきて、落語家になろうと本気で思っていたのが、その頃です。「赤めだか」を読んで、「紺屋高尾」を聞いていた私としては談春師匠に弟子入りしようと決めていました。そしたら、大阪のNHKホールで談春師匠の独演会があると言うじゃありませんか(2010年12月のこと)。これは弟子入りのチャンスだ!と思いました。

 

私は、弟子入り志願の手紙を書きました。「(芸人としての仕事が残っており)3月までは大阪にいなければいけないのですが、4月から弟子入りさせてください」と。で、芸人を辞めて落語家になることを、世話になっていた吉本の社員の方に相談しました。すると「落語家になるのは構わないけど、そういう(きみに都合の良い)弟子入り志願は、どうなの?」と指摘を受けたんです。「弟子入りしたい。けど、4月まで待ってください!」っていうのは、(お願いする側の)お前が言える立場じゃないよね、ということです。

 

この時点で、大阪で談春師匠に手紙を渡すことは諦めました。失礼すぎるので。芸人を辞めて東京に行って、直に弟子入りしようと思いました。それから、落語関係の本を読み漁り、聞きまくりました。

 

その中の一冊に「この落語家を聴け!(※)」がありました。その中で談笑を初めて知ったんです。志の輔、談春、志らく以外にもう一人、すごそうな人がいるぞ!と。で、CDを借りてきて、たくさん聞いたんです。その中で決定的だったのが師匠の「ジーンズ屋ようこたん」(※名作古典「紺屋高尾」の改作)だったんです。

 

それまでは「紺屋高尾」と言えば談春師匠の「紺屋高尾」でした。ずっと、談春師匠の「紺屋高尾」に惹かれていましたが、談笑の「ジーンズ屋ようこたん」を聞いて、この人に弟子入りしよう!とはっきり決まったんです。(私は、こっちが好きだ)と直感的に感じました。

 

― ようやく、談笑師匠が登場してきました!

 

その頃はお笑い芸人をしていましたし、本気で落語家になろうと思ってた時期です。プロの端くれとして、ちょっとやそっとの面白さじゃ笑わなくなっていましたが、「ジーンズ屋ようこたん」は(私好みで)面白かったんですよ。(何この噺、悪ふさげ?)と思って聞き始めて、おしまいには感動してましたんで。はまりましたね。最終的には(現代人の皮膚感覚で分かるように改作している作品なんだな)と感じました。

 

面白さに惹かれて、繰り返し繰り返し聞いていた超直球・名作古典の「紺屋高尾」。それが、こんな風に変わるのか!という驚き。凄まじいな、と。今でもはっきり覚えています。「紺屋高尾」のポイント、(ここだ!)というポイントを見つけて、絞り出して、それを現代的にアレンジ。「この人のセンスと力は本当にすごい。うまいなぁ」と思ったんです。

 

※ 「この落語家を聴け!」:広瀬和生著。年間1500席以上の高座に足を運ぶ筆者による、落語家ガイド本。現代の落語論としても。

 

※ 「ジーンズ屋ようこたん」:名作古典「紺屋高尾」の舞台を現代に移した改作。紺屋高尾における「高尾太夫」は,ここではグラビアアイドル「近藤洋子」となる。改作を得意とする師匠・立川談笑の大ネタ。

 

― で、そのあとは?

 

ピン芸人を辞めて、4月に上京してきました。もう、心は談笑一筋です。(談笑の一番弟子である)吉笑兄さん(※)のブログから、師匠が高円寺に住んでいることを突き止めて、高円寺に住むことに決めました。そこからは(師匠の出る)落語会に通っては出待ちして、通っては出待ちして、を繰り返しました。出会えなかったり、なかなか言い出せなかったりで2か月が過ぎました。最終的に日暮里サニーホールの玄関口で師匠に弟子入り志願を。ようやくです(苦笑)。それまで2か月間、落語会に通っていただけでしたから、師匠に自分の想いを伝えることができただけで、それだけで、まずうれしかったですね。

 

― なんと言いました?

 

「知花弘之と申します。弟子入りさせてください」と。そしたら師匠が「うち(立川流)はやめときな。芸協行った方がいいよ」と。「いえ、師匠がいいです」。「それなら、メールで履歴書を送っておいて」と。そんなやりとりでした。

 

その後、「1か月間、見学に来ていいよ。見学する中で、楽屋で噺家を見て(噺家の文化・厳しさ・暮らしぶりなどを見て)、それから改めて決めなさい」と。見学期間中は(落語家人生の)厳しい現実も垣間見ましたが、私としては諦めるはずがありませんから。1か月経って、再び師匠に問い直されて、ようやく入門となりました。

 

― 入門の条件は前歯だったとか?

 

見学前に「右の前歯どうするの?欠けてるみたいだけど」とは言われていたんです。噺家にとって口元は重要ですから。ただ、当時は、そんな意識はありませんでしたから「前歯が欠けている方が変な顔で面白いと思います」みたいな返事をして。「あ、そう」で済んで。見学期間終了後には「前歯を直すなら弟子に取る。その歯は直した方がいいよ。サ行が抜けるから」と。で、すぐに直しに行きました。

 

※ 立川吉笑:きっしょう。立川談笑門下の一番弟子。1年半という異例のスピードで二つ目に昇進。ギミック(仕掛け、アイデア、新しい視点、発明性)、とストーリー(物語性、話の進め方)を重視した、独特の創作落語で人気。2015年、立川談志の『現代落語論』からちょうど半世紀という節目に、『現在落語論』という同じタイトルの本を執筆し、落語に関する持論を展開。落語に一家言をもっているのは、家元や談笑師匠譲りか。

 


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。笑二さんの声、そして本音。

 

立川笑二 独占インタビュー(2)

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